幸せホルモン帰宅部

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劇場版「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」原作小説との相違点

 皆さんこんにちは、当ブログでは「ノーゲーム・ノーライフ」に関する記事を頻繁に扱わせていただいております。
 そんな「ノーゲーム・ノーライフ」といえば、アニメ以上に強く印象に残ったのが劇場版ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」ではないでしょうか!
 筆者もいまだにBDを見返しては毎回泣いているほどの、とても感動的な素晴らしい作品です(ノ∀`)
 ところでみなさん、そんな 「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」のストーリーは原作小説6巻の内容がもとになっているのですが、結構原作小説と違っていたり、削られたりしている部分があるのはご存じでしょうか?
 これは映画という限られた時間の都合であったり、よりアニメ向きのシーンにするためにやむを得ないことだと思うのですが、やはり原作小説との違いを知ることでより作品を理解することにつながると思うのです。
 そこで今回は 劇場版「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」と原作小説6巻の相違点をまとめてみました。

 

   ノーゲーム・ノーライフ ゼロ

      ノーゲーム・ノーライフ ゼロ

 

1.そもそも「ノーゲーム・ノーライフゼロ」ってどんな話?

 「ノーゲーム・ノーライフ ゼロ」は先程から何度も言っていますが原作6巻の内容が元になっています。

 空と白の兄妹が活躍する本編より数千年以上過去の話で、この頃はまだテトが唯一神になっていないため、まだこの世界には十の盟約もありません

 世界各地では各種族とその創造主たる神霊種達は唯一神の座を巡って争っています。

 そのため世界には死と破壊が溢れ、戦う術をもたない人類は常に死と隣り合わせの生活を送っていました。

 そんな世界で人類リーダーであるリクと機凱種の少女シュヴィが出会い、心寄せ合い結婚し、そして死と破壊が溢れる世界を変えるため仲間たちと共に立ち上がる物語です。

 内容や見所など別の記事で詳しく書いていますのでよろしければそちらもご覧下さい。
selugeinet.hatenablog.com

 

 2.原作と映画の相違点や描かれなかった部分

 

・リクの少年時代

 リクの幼年時代を一言で表すと「一人で、延々とゲームを続ける子供」でした。

 周囲の大人から怪異の視線を浴びても、リクは一人ゲームを続けていました。

 しかしリクにだけは対戦相手の姿がしっかり見えており、それこそが当時は概念でしかなく存在はしていなかった「ゲームの神」テトだったのです。

 リクはテトに一度も勝てないながらも、何度も挑み続け戦術と戦略を磨いていきました。

 そしてそれが後に、人類のリーダーとしての彼に繋がっていくのです!

リクとテト

劇場版ノーゲーム・ノーライフゼロより

 

・妖魔種(デモニア)の姿とイワンの死

 映画でも妖魔種(デモニア)からリクたちを逃がすため、囮として命を落としたイワン。

 彼らを襲った妖魔種は映画ではヘビやヒルのような姿をしていましたが、原作小説ではトロールやオークに例えられる人型でした。

 またイワンの散り様も映画のようなあっさりしたものではなく、イワン本人の視点で、死を覚悟しつつも家族のために懸命に生き残ろうと足掻いた上で散っていくのです・・・

 十の盟約が出来る前の、死が当たり前にある世界なのだと痛烈に印象付けられるシーンです。 

デモニア

劇場版ノーゲーム・ノーライフゼロより

 

・リクとシュヴィの1年とシュヴィの恋心

 映画ではお風呂のシーンの後すぐに森精族(エルフ)の廃墟へ向かいますが、原作ではこの間に1年間が経過しています。

 その中で集落内の他の人々やコロンとの触れ合いを通じてリクとシュヴィの関係性が少しづつ変化していきます。

 そしてコロンに指摘されシュヴィは自身のリクに対する思いにも気づいていくのです。

 正直このシーンを知っているかどうかで、後の告白や別れのシーンに対する思い入れが全然変わってくると思うので、原作未読の方はここだけでも買って読んだほうがいいですよ(`・ω・´)

リクとシュヴィ

劇場版ノーゲーム・ノーライフゼロより

 

・ 神霊種の狙い

 テト以外の神霊種達の狙いは自分以外の神霊種の「神髄」を破壊して自分に取り込み己の力を増幅(ブースト)させることで「星杯」(スーニアスター)を顕現させるだけの力を得ることです。

 しかしリクは彼らが衝突する力を利用し、星を一度砕くことで「星杯」を顕現させることに成功しました。

アルトシュ

劇場版ノーゲーム・ノーライフゼロより

 

・アルトシュvs機凱種(エクスマキナ

 映画では声だけの登場だった、天翼種の創造主である神霊種アルトシュですが原作では人の姿で、リクたちの前に立ちはだかります。

 そもそも例え他の勢力の力を利用し星を砕いても、アルトシュが存在している限り「星杯」(スーニアスター)は最強の神アルトシュの下に顕現する可能性が極めて高かったのです。

 そのため「星杯」(スーニアスター)が顕現する前にアルトシュを倒し真髄を剥離させる必要がありました。

 そして戦神アルトシュの討伐という不可能とも思える戦いに挑んだのが、シュヴィの意思を継いだ機凱種(エクスマキナ達だったのです(;>_<;)

星杯

劇場版ノーゲーム・ノーライフゼロより

 

 

3.まとめ

  いかがだったでしょうか今回は映画と原作の違いや、ノーゲーム・ノーライフゼロでは語られなかった部分をご紹介しました。

 この記事を読んでいただいてよりノーゲーム・ノーライフゼロの理解が深まったり、逆に原作小説ノーゲーム・ノーライフ6巻に興味を持っていただけたら幸いです(^.^)

 筆者としてはノーゲーム・ノーライフゼロを見て面白いと感じた方は是非原作小説も読んでいただけたら、間違いなくノーゲーム・ノーライフゼロがさらに面白くなると思うので原作と映画を両方合わせて楽しむことを強くおすすめします!

 

  

 

 

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